日本で広場というと駅前や繁華街にあってお世辞にもあまり広いとは言えない歩行者専用の公共空地を指すことが多いですが、旧共産圏では広場の持つ政治的機能が重視されて祝日パレードを行えるほどの広大な空間を基軸とした都市計画が進められました。そんな旧共産圏都市の広場と切っても切れない要素で、ベストポジションに必ず据えられているのが何かしらの人物像。ソ連各地ではレーニン(あるいはカール・マルクス)の像が置かれて何のひねりもなくレーニン広場と命名されていたところが大半でしたが、ソ連解体後に新興独立国家として歩みだした過程で各国にゆかりの深い象徴に置き換えられていきました。
というわけで、今回は中央アジア5か国それぞれの最大都市を代表する広場にある人物像の正体に迫ってみます。
◆独立広場(タシケント@ウズベキスタン)
台座の上に立っていたレーニン像が金色の地球儀にすげ替えられたのち、2006年に赤子を腕に抱く母親の座像が加えられました。球体にはウズベキスタンの地図が描かれ、母なる大地と新生国家の未来を担う子どもたちを表現しているのだとか。
©2023 Official web-site of the President of the Republic of Uzbekistan
市内で同じくらい大きい「アミール・ティムール広場」にはウズベキスタン中央部で興ったティムール朝(14~16世紀)創始者のティムール騎馬像(本記事冒頭の写真)があります。歴史的には現代ウズベク人はティムール朝を倒した遊牧民の流れを引いている……はずですが、国民統合のシンボルとして英雄視されています。
◆共和国広場(アルマトィ@カザフスタン)
1992年以来ナウルーズ(イラン暦元年)が盛大に祝われている広場から南の天山山脈を見つめるのは、翼の生えた雪豹の上に立つ黄金の男性像。モチーフとなっているのはアルマトィから東へ50kmほど離れたイシク川の岸辺で見つかった金色の鎧を身にまとった人骨。紀元前6世紀ごろから歴史書に現れるイラン系遊牧民サカ人のものとみられ、数千に及ぶ金属製の副葬品とともに出土しました。「黄金の男」と呼ばれるこの人骨の鎧のレプリカはアルマトィ市内のカザフスタン考古学博物館で見ることができます。
©Visit Almaty
◆アラトー広場(ビシュケク@キルギス)
広場が建設されたのは1984年と遅めで、2005年にアカエフ大統領(当時)の辞任を求めたチューリップ革命の舞台になった場所でもあります。2003年に置かれた女神像「自由」に代わり、2011年に現れたのがキルギスに伝わる英雄叙事詩『マナス』と同名の主人公が剣を振るう騎馬像。『マナス』は千年以上にわたって語り継がれ18世紀ごろに現在の形となったとされる口承文学で、その長さは数十万行に及ぶという驚きの長さ。ちなみに車道を挟んで正面に立っているのは、雄大な自然を背景にキルギスのフォークロアを織り込んだ文芸作品を残した作家チンギス・アイトマートフの像。
◆友情広場(ドゥシャンベ@タジキスタン)
独立後に改名された自由広場から1997年に現在の名称に。その2年後に出現したのが巨大なアーチの前で王笏を掲げるイスマーイール・サマーニー像。サーマーン朝(9~10世紀)の最盛期の君主にしてタジク人の父祖とみなされており、タジキスタンの通貨名ソモニは同氏の名前に由来します。
©Anton Rybakov on Unsplash
◆独立広場(アシガバート@トルクメニスタン)
広場の中心を成す独立記念塔を囲むように27体の彫像が並んでいますが、なかでも一際目立つのが通り路の途中で金色に輝くニヤゾフ初代大統領の立像。そのニヤゾフ像の足元にいる「双頭の蛇を踏みつける五頭のワシ」は同氏が大統領府の紋章として考案したもの。現在の塔の位置には同じく黄金のニヤゾフ像が先端に付いた中立の塔が建っていましたが、第二代大統領によって2010年に独立広場から少し離れた広場に移設されました。
名所にあるからとりあえず何となく記念写真に収めておきがちな人物像も、背景を知るとまた違った趣きをもって見えてくるかもしれません。
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